自省録(マルクス・アウレリウス)から学ぶべき事柄 Part①

「自省録」なんて聞いたことないです・・・。
マルクス・アウレリウスという皇帝が書いた手記です。
学ぶことが多いのでおススメです。
目次

マルクス・アウレリウス 生い立ち

マルクス・アウレリウスは、西暦121年に皇帝の名門で生まれ、一流の学者や家庭教師に囲まれ育ちました。

特に、興味を示したのはストア派の哲学でした。

ストア派とは禁欲、自分に流されるのではなく、いつも理性的に判断・行動することで幸せになろうという考え方で、ストイックの語源です。

18歳の時、当時の皇帝であるアントニウス・ピウスに「次の皇帝はお前にしたい」と指名されます。

皇帝になると哲学を学べなくなることや戦争や休廷中の人間関係に苦しむことを懸念し、マルクス・アウレリウスは素直に喜べませんでした。

しかし、皇帝の言葉は絶対であるため断ることはできませんでした。

それから、マルクス・アウレリウスは、朝は行政の最高機関として働き、夜は哲学を学ぶ多忙の生活を送っていました。

その後、前の皇帝がなくなったことでマルクス・アウレリウスは39歳でローマ皇帝になりました。

その後、隣国との戦争や災害による食糧難や仲間の裏切り、8人のわが子の死など、本当に多くの困難が立ちはだかりました。

それでも、マルクスはくよくよするそぶりを見せず、いつも毅然とした態度で国民を導き、多くの国民が幸せになるために働きました。

一見すると鉄人のように見えますが、実際には多くの失敗に心が折れ、悩み苦しみながら生きていました。

彼には就寝前に日記をつけるという習慣があり、そこには彼の心の葛藤が示されていました。

自分のコントロールできることに集中する

「自分でコントロールできないことよりも、自分でコントロールできることに集中する」という考え方がマルクス・アウレリウスの根底にはありました。

たとえば、誰かが自分に対して失礼な態度をとってきたり、車をぶつけてきたり、悪意のある中傷をしてきたりしても、それを止めることはできません。

私たちがどれだけ注意しても避けられないことはあります。

また、自分ではコントロールできないことは悩んでも仕方がありません。

最たる例が天候です。

文句を言ったところで雨は止まないでしょう。

失礼な態度をとってくる人や、非難を浴びせてくる人も、天候と同じで自分ではコントロールできません。

変えられないことに目を向けるのは時間の無駄であり、自分を不幸にしてしまいます。

だから、コントロールできる自分自身の行動や判断に目を向ける方が賢明です。

失礼な態度をとってきた人に対して礼儀正しく接することはできます。

誹謗中傷には「くだらない」と思ってブロックしたり、相手を訴えることもできます。

コントロールできない他人よりも、コントロールできる自分自身の判断と行動に集中し、前向きに生きることが大切であるとマルクス・アウレリウスは考えていました。

☆ポイント
・自分でコントロールできないことは悩んでも仕方がない。
・コントロールできる自分自身の判断と行動に集中し、前向きに生きることが大切である。

自分でコントロールできる事柄って逆に少ない気がします…。
まだ誠君が学生という立場だからかもしれないね。
コントロールできる事柄に目を向けていきましょう。

心を乱す原因は自分にあると知る

この考え方は、「物事はただ起こっているだけで良い悪いを判断するのは自分でしかない」ということです。

例えば、友人があなたの悪口を言っているのをたまたま聞いてしまったとしましょう。

おそらく多くの人は、「傷つけられた」と感じて落ち込んだり怒りを覚えたりするでしょう。

しかし、その意見を無視することも自分にはできたわけです。

逆に、そんな弱点があったんだと開き直り、改善することだってできます。

捉え方で、物事の見方は変わるのに、勝手に「傷つけられた」と判断して怒ってしまうのは自分のせいというわけです。

もちろん、悪口を言う行為を肯定する気にはなれませんが、私たちは相手が何を言おうがコントロールはできません。

どうしようもできない相手の発言に一喜一憂する人生はあまりのも悲しいです。

実際に、マルクス・アウレリウスは皇帝だったので、多くの人から悪口を言われ、身の回りにも高慢な人や傲慢な人、嫉妬深い人が多くいたにもかかわらず、いつも毅然とした態度を貫いていました。

自分の心を乱す主体はほとんどの場合、自分です。

他人からの批判といった雑音は無視すればいいのです。

実際に役職が上に行けば行くほど、心を乱すことなく他人からの批判をスルーできるようにならないと務まらなくなります。

心無い言葉を上手に受け流すスルースキルは生きていく上で必須のスキルでしょう。

☆ポイント
・物事はただ起こっているだけで良い悪いを判断するのは自分である。
・自分の心を乱す主体はほとんどの場合、自分である。
・上手に受け流す「スルースキル」は生きていく上で必須のスキルである。

良いも悪いも自分の心の持ちよう次第というわけですね。
嫌なことには反応しなければ、自分の気分も落ち込まないしね。

怒るメリットは一つもない

実は、怒ることにメリットは一つもありません。

怒りに任せて相手を怒鳴ったり責めたりしても、事態を悪化させるだけで何の意味もありません。

例えば、誰かが待ち合わせ時間に遅刻してきたとして、それに対して怒鳴ったり責めたりすると相手は、「そこまで怒られることか」と感じて、必ずうっぷんがたまり、反発を生んでしまいます。

つまり、怒っている状態は自分の魅力を下げてしまっていることにもなります。

怒りを感じても、どうにかこらえたり気をそらすべきなのです。

もし、相手の行為に怒りを感じたら自分は同じような行為をしないようにしましょう。

相手が何か過ちをしてしまったとしても、感情的になってやり返したり怒るのではなく、寛容になりましょう。

また一度、相手の気持ちに立ち返って考えてみると良いです。

相手にも何かしらの事情があると考えることで、怒りの感情は小さくなります。

そして、自分が相手のお手本になって見せ、相手が理解してくれるのを信じてじっと待ちましょう。

怒るという行為に、いいことは一つもありません。

怒りが爆発しそうなときは、一度相手の立場になって考え、怒りを鎮め、理性的に対処することが大切です。

☆ポイント
・怒ることにメリットは一つもない。
・怒っている状態は自分の魅力を下げてしまう。
・相手の気持ちに立ち返って考えてみると怒りは静まる。

話を聞いて、怒ることがばからしく感じてきました。
怒りを感じたら飲み込むよう自分を自制していきましょう。

見返りを求めない

私たちは自分がしてあげたことに対して見返りがないとイライラしたり怒ったりしがちです。

旅行のお土産を渡したのに、その人が旅行に行ったときにお土産がなかったら気落ちしたり、怒りを覚えたりすることは誰にでもあります。

しかし、見返りを求める行為は怒りの原因になるのです。

与えるときは、見返りを求めてはいけません。

お返しを上げるという行為自体は素敵だと思いますが、その考え方を相手に強要するのは無理があります。

なぜなら、相手の行動は自分ではコントロールできないからです。

マルクス・アウレリウスは、ブドウのように相手には何も求めずにただ与える人になるべきだと考えました。

誰かに親切にしたとき、人の考えは以下のように分かれます。
・見返りを求める
・自分が価値ある行為をしたと満足する
・自分がしてあげたことは当然のことなので、見返りを意識しない

ブドウの木はおいしい実をつけますが、誰からも感謝されることなく何も求めません。

つまり、親切をしても見返りを意識してはいけないのです。

キリスト教においても、神からの愛は無償であり見返りを求めるものではありません。

☆ポイント
・見返りを求める行為は怒りの原因になる。
・相手の行動は自分ではコントロールできない。

勝手に見返りを期待してしまうから、怒りの原因は自分にあるということですね。
田堰紙工と自責志向の話にもつながりそうだね。

参考文献

https://www.youtube.com/watch?v=31m3k1B7GFk&list=WL&index=1

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