自省録(マルクス・アウレリウス)から学ぶべき事柄 Part②

今日は前回学んだ「自省録」の続きですね!!
今日も先人の考えから学んでいきましょう!!
目次

他人の評価で価値は変わらない

批判や賞賛されたからといって、物事の本来の価値は変わるものではありません。

現代において、これは非常に重要な考え方です。

たとえば、自分がすごい好きなことがあったとします。

その好きなものを友人に否定された場合、私たちは好きなものへの評価を下げてしまいがちです。

「かっこ悪い」と言われたから、自分の好きだった服を着なくなるあの感覚です。

ほかの人たちと自分の評価が違ったとき、自分の評価は正しいのかと疑いがちになってしまいます。

人は他人からの批判や評価に影響を受けやすいものです。

しかし、何かを褒められたり、批判されたりしても、そのものの価値は変わりません。

もし、他人の批判や評価によって自分自身の価値が揺らいでしまうのであれば、自分自身の判断が他人次第になってしまいます。

そうなると、自分が良いと思うものではなく、相手が良いというものを着て自分が好きなものをあきらめてしまうことになってしまいます。

ただ、他人の評価で歩む人生はとてもつまらないものです。

楽しい人生を歩むためにも、自分が価値を感じているものを日々大切にしましょう。

☆ポイント
・批判や賞賛されたからといって、物事の本来の価値は変わらない。
・他人の評価で歩む人生はつまらない。
・楽しい人生を歩むためには、自分が価値を感じているものを大切にする必要がある。

周りの評価というしがらみから逃れられればそれだけ楽になれるんですね。
中高生など多感な時期は致し方ない部分もあると思うけど、「周りがどう思うか」ではなく「自分がどうありたいか」を大事にしてほしいと私は思うよ。

避けられないことを乗り越える方法

マルクス・アウレリウスは多くの困難を乗り越えてきました。

西暦161年、雨が降り続いて主食の小麦や農作物が壊滅的な打撃を受け、秋には川が氾濫して戦争が勃発し、さらに疫病が流行して多くの市民が死亡しました。

また、彼は14人中8人の子供を亡くし、妻にも先立たれています。

そのたびにマルクス・アウレリウスは、「先人たちが乗り越えてきた苦悩なら、自分にも乗り越えられると信じましょう」と自分に言い聞かせてきました。

自分には達成できないことがあっても、それが人間に不可能なことだと考えてはいけません。

むしろ、人間にとって可能で適切なことであれば、自分にも達成できると信じましょう。

辛いときは、自分と同じような辛いことを乗り越えてきた先輩たちを思い浮かべて、自分にもこの苦悩を乗り越えられると信じましょう。

人はつらいことがあると、なぜ自分だけが苦悩しなければならないのかと悩みます。

しかし、どんなにつらいことでも、自分だけが初めて経験するものではありません。

難病にかかった人やがんになった人、大切な人を失った人というのは必ず存在します。

現にあなたは悲しみの渦中にいて辛いかもしれませんが、必ず同じ経験を乗り越えてきた先人がいます。

どうしようもなくつらいと感じたときは、そういった先人たちを思い浮かべて、自分にもこの苦難を乗り越えられると信じることが大切です。

自分だけではなく、誰もが苦悩することがあるということを心に留めて、気持ちを切り替えていきましょう。

☆ポイント
・悩みがない人はいない、みんなそれぞれ悩みを抱えている。
・達成できない困難があっても、不可能なことだと考えてはいけない。
・どんなにつらいことでも、乗り越えてきた先人がいるはずである。

誰しも悩みを抱えていると知ると、みんなが一種の動詞のように思えて少しだけ気持ちが軽くなりました。
自分の悩みと向き合い、乗り越えるための手段として瞑想やマインドフルネスがあるんだよね。

「死」に良いも悪いもない

マルクス・アウレリウスは、死ぬことは生まれることと同じで、自然なことだから死は悲しむことではないと考えました。

たしかに、人の死は悲しいものです。

マルクス・アウレリウスも多くの人の死に携わってきました。

しかし、自分は国のトップであり、国民を導く立場にいます。

何より、嘆き悲しむのは、自分の哲学に反する行為です。

そこで、死を過剰に恐れてあたふたするよりも、「死は自然の一部であり、良いも悪いもない」と考えることで割り切りました。

死は出生と同じく、自然の神秘であると言えます。

☆ポイント
・「死」は、自然なことであり悲しむことではない。
・「死」は出生と同じく、自然の神秘である

「死」さえも自然の神秘ととらえるなんてすごい考え方ですね。
自然の理の一つだからね。
割り切れないと感じるのも、また自然なことだけどね。

今に集中する

死は自然の一部であり、誰しもに訪れるものです。

だからこそ、マルクスは明日でも明後日でもなく、今日という一日を丁寧に生きることが幸せになる方法だと考えていました。

毎日を最後のように過ごし、怒ることなく無気力にもならず、偽善をしないことが大切だと彼は考えました。

今日が最後の日だと思って自堕落に生きるのではなく、丁寧に過ごすことが大切だということです。

うかうかしていると、時間はあっという間に過ぎていきます。

自分が好きでもないのに、他の人からの評価を気にして偽善に時間を使うのはもったいないです。

マルクスは、過去でも未来でもなく今だけが大切だと考えていました。

過去も未来も自分ではコントロールできません。

コントロールできるのは現在だけです。

だから、来るかわからない未来を想像して心配するのではなく、今を精一杯生きることが大切です。

では、未来のことを考えてえ、投資や健康診断を受けることには意味がないのでしょうか。

私たちが投資や健康診断を受けるのは、今を安心するためです。

未来が気になると人は集中できません。

今に集中するために、投資や健康診断には意味があるということです。

☆ポイント
・「死」は自然の一部であり、誰しもに訪れるものである。
・今日という一日を丁寧に生きることが幸せになる方法である。
・未来のことを考えて行う「投資」や「健康診断」は、今に集中するために意味がある。

今に集中するという考え方はすごく共感します。
ずっと過去を悔いてばかりいても仕方ないですものね。
「今日を人生最後の日だと思っていきなさい」という言葉は実にいろんな偉人が残していることでもあるよね。

参考文献

https://www.youtube.com/watch?v=31m3k1B7GFk&list=WL&index=1

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